昨日の夕方、急に右足首が痛くなりました。捻挫したような痛みで、歩けないほどではないものの、一歩踏み込むたびに痛みを伴い、普通に歩くのもままならないような感じでした。
その後、仕事から自転車で帰宅したのですが、食事をとった後、風呂に浸かっても、良くはなりませんでした。
そして、今朝の明け方の時間。
起き上がっても痛みは引いてなかったので、大事をとって歩き祈りはやめておこう、という気になりました。痛くて歩けないのなら仕方ない、と。
しかし、直前になって「やっぱり行かなくては」という気になり、着替えて外に出たのでした。
以前も幾度となく書いておりますが、やはり私は家で祈っていると、途中で強烈な眠気に襲われて、その眠気に負けてしまうことが多々あります。ですから、絶対に外に出たほうが良い。それなのに「家で祈ろう」と思うのは、怠惰な気持ちから来ているのだと自分でも分かります。まさに「悪魔のささやき」なのではないかと思うのです。
この日は、そのささやきを振り切り、もし途中で足の痛みに耐えられなくなったら、公園のベンチで祈ればいい、という気持ちで歩きはじめました。
案の定、歩くと痛みがあり、いつものようには歩けません。それでも全く歩けないほどではなかったので、ペースを落としてゆっくり歩くようにしていました。
そして祈りながら歩いていったのですが、ほんの十分程歩いた時に、足の痛みが全くなくなっていることに気づきました。本当にきれいになくなっていたのです。試しに強く足踏みしてみましたが、痛みなど感じていたのだろうか? と疑いたくなるくらい、痛みが消えていました。
もしかしたら、神さまが痛みを取り除いてくださったのかもしれない。
そのように思いました。普通であれば、休んでいて痛みが和らぐことはあっても、歩いていて痛みがなくなることなどないと思ったからです。
痛みにも負けず、怠惰な気持ちを振り切り、悪魔のささやきに打ち勝って、祈ろうとする姿勢を評価してくださったのかもしれない。
そう思うと、神さまに対して感謝の気持ちでいっぱいになり、即座に神さまに感謝を捧げました。するととても胸が熱くなり、涙があふれるほどになりました。
そのあとも引き続き、いつものルートを歩きながら神さまに感謝しつつ、祈りを続けたのですが、しばらくすると「歩き祈りに出て、良かっただろう?」という声が聞こえたような気がしました。
そう思ったのではなく、誰かからそう言われたような気がしたのです。
自分の霊かもしれない。
すぐにそう思いました。同時に、起きた時に怠惰な気持ちになっていた自分を奮い立たせ、歩き祈りに行くよう導いてくれたのは、自身の霊だったのかもしれない、という気持ちになりました。肉的には完全に部屋での祈りに傾いていたのを、歩いたほうが良い、と思わせ、仕向けてくれたのだろう、と。
そして、それは正しかった。深く祈れただけでなく、足の痛みも消え、帰ってきてからは頭もスッキリしていたからです。もし歩き祈りに出ていなかったら、大して祈ることもできず、今日一日ずっと足の痛みに悩まされていたかもしれない。
霊に従っていれば間違いない。
そう思えた明け方の時間でした。
まだまだ肉的な考えが強く、その怠惰な考えに流されがちですが、もっと霊性を高めて常に霊の言うことを聞き取り、その意見に従えるようになりたいです。
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